薬物から離脱することの大変さ

もう今年も終わりですね。

先ほど紅白も始まってしまいました。


今年は有名人の薬物事犯が大々的に報道された1年でした。

報道のされ方には、弁護士としてはいろいろと疑義があるのです

(ASKAの報道など最悪と思っています。)が、

注目してほしいのは、一度薬物にはまると、それから逃れるのは

本当に大変だということです。


私も、刑事事件で覚せい剤案件を中心に何度も担当させて

いただいていますが、

刑事裁判では、初犯ですと特別悪事情がなければ執行猶予がつき、

社会に「放出」されてしまいます。


その後は、司法が関与することはなく、薬物から手を切るための

努力はその人任せにされてしまっているのが現状です。

もちろん裁判では、どなたも反省と薬物からの離脱の決意を口にされ、

かつ、そのうちほとんどの方がその決意は真意だろうと思うのです

(薬物をやめたいと思わないという人には出会ったことがありません)


が、大変なのは、判決の後、社会に戻ってからです。

当分の間は、薬物から離れた生活を送ることは、それほど困難では

ないのかもしれませんが、ある時、決意などではどうにも歯止めに

ならない衝動が襲うということなのです。

ふとあるした瞬間、薬物のことしか考えられない状態になることも

あると聞きます。それが、薬物中毒の怖いところです。


これを、裁判では、ストレスが溜まり薬物のことを考えてしまったとか、

昔の快感が味わいたくなってしまったとか、表現されるのですが、

説明しようとすればそういう表現になるだけで、実際とはかなり

違っている感覚です。

また、薬物事例の判決でよく出てくる、安易に再使用に及びとか、

法規範意識の鈍磨が著しいとかの言葉は、全く心が伴っておらず、

被告人には届かない単なる慣用句でしかないと思います。


大事なのは衝動が出たとき、それを押さえつけられる周りの環境、

医療機関や支援組織、家族や協力者であり、それがないと、本当に

本当に大変なのです。


清原選手の告白が年末、出ていましたが、逮捕前に何度か医療機関で治療も受け、

やめる決意を何度もしていたのに、離脱できなかったようです。

これは、必ずしも本人だけの責任では片づけられないと思います。

衝動が訪れ、そのとき周りの支援からすり抜けられてしまったとき、

悲しい結果がやってくるのです。


私が担当させていただく場合、初犯で執行猶予が当然見込まれる

事案であっても、周りの支援や利用できる機関、組織をできる限り

探索する作業が中心になります。

もちろん周りからしたら迷惑この上なく、苦労ばっかりだということも多く、

なかなか環境が整わないこともあるのですが、何より必要なことです。



今年の紅白、ちょいちょいジャニーズを絡めてきていますね。

好きな人は好きなんでしょうが・・・。

タモリとマツコデラックスのコントもいるのかなぁ・・・。


みなさま、よいお年をお迎えください。

逃げ恥

休日は余分な話を。


逃げ恥がブームでしたね。

私も途中からですが、女性の友人に「ガッキーの可愛さだけでも意味ある」

と勧められて見ていました。


(以下、ネタバレ多しですので、見てない人は「見ないで!」)。




最終回までは、「出しましょう親密感、醸しましょう新婚感」とか、

「意思がなきゃ続かないのは、仕事も家庭も同じ」とか、

いちいち印象に残る言葉にやられていたのですが、

最終回直前、平匡のプロポーズに対してみくりは「好きの搾取です」と返答。

いくらドラマだとしても、あんなプロポーズは現実的ではないので、

あえて言葉化してぶっ込んできたと思いました。

結婚を労働契約とみなして、純粋な契約関係として生活を始めてみると、

いろいろあって愛情関係が生じた、

それで愛情関係を基礎にした「普通」の結婚をしようとしたら、

待ったがかかったということですよね。


で最終回。

これまでのように、家事を労働とみながら、雇用主、従業員の関係だと、

ブラック企業化すると。

指揮命令の雇用ではなく、共同経営責任者とみて家事を「分担」

(このあたりが世の「普通」でしょうか。)しても、

「はっきり言って面倒」で、相手の分担の量や内容、質に不満も生じて険悪になると。


ドラマでは、平匡が、

閉じたシャッターの開け方を知っている、何度も見捨てずノックするとして、

みくりに「話し合ったり時間置いたり、騙し騙しでもやれないことない、

「普通」じゃないのは今更です。」と話しかけると、

みくりも「見失っちゃいけない、立て直そうゆっくりでも。」と落ち着いて、

ハッピーエンドに向かうわけです。


ドラマの展開上、どんどん話が進み忙しく、一見不自然のようにも思えましたが、

これって数年とか、もっと長いスパンでみれば、どんな夫婦でも起こり得ることですよね。

解決されず、曖昧になり、どちらか(あるいは両方)に不満が蓄積され、

最後は弁護士に相談するまでになってしまう。

そうならないためには、関係性やその変化に応じて話し合ったり、互いに努力したりしてして、

柔軟に関係を作っていくしかない。その時、常識とか普通とかはいらないと。


それと、労働環境についても、

派遣のみくりには提案など求めてなくウザがられて切られるが、

小賢しいからできる仕事もあると気づいたと言っていましたが、

(実際にはやりがいまで搾取するのに)派遣だから言われたことだけやれという扱いは

いかがなものかということですよね。


いろいろと考えさせられるドラマでした。

先日呑んでた時、隣のサラリーマングループが、最終回について、

ガッキーならかわいいから許せるよねとか言って盛り上がっていましたが、

少なくとも、ガッキーかわいいだけのドラマではなかったですよね。


この小賢しい感想、仕事に生きるだろうか、、、

バイクの交通事故

私が特に関心を持ってやっている特殊(というかニッチな)分野として、バイクの事件があります。

理由は自分でバイクに乗っているからです。大学生の時から、乗り続けていますので、もうかれこれ20年以上、ライダーをしているのです。


バイクには転倒の危険もありますし、体をむき出しの状態で四輪車と同じスピードを出し、混走しますから、何かあれば直ちに命の危険があるわけです。

そのため、交通事故となれば、ただでさえ、重大な被害が生じやすいのです。


ところが、バイクに乗らない人からすると、バイクはただ危ないとか、邪魔とか考えるのみで、四輪車とは異なりいわば弱い立場である考えられる人は多くありません。

運転免許を持っていない人はもちろん、持っていても四輪車だけしか運転したことがない人は、なかなか二輪車=弱者との感覚を有しにくいことが多いと思います。


このことは、裁判等でも同じです。

弁護士の中でバイクに日常的に乗っている人はあまり(ほとんど)いません。

裁判官であればなおさらです。

そのため、バイクの特性などが正しく理解されないまま、事件が進むことは少なくないと思います。


そのような場合、バイクからの視点をきめ細やかに主張して、妥当な結論に導くのが重要となります。

直進するバイクの前に、四輪車が無理な車線変更をしてきたため、パニックブレーキとなり転倒(握りゴケ)した事例で、勝手に転んだバイクが突っ込んできたと主張する相手の主張を、バイクの動きを解説して、ようやく退けたことがあります。

逆に、バイクの動きが理解できることで、右折車両(四輪)と対向する直進二輪との衝突事件の際、バイクが渋滞車列を無理にすり抜けてきたために、四輪車からは見えなかったことを主張して、無罪判決を獲得したこともあります。


バイクが関係した事故の場合、誰かが嘘をついているのでもないが、誰も本当は何が起こったかを理解しないこともあり得ることですので、おかしいと思う場合は、早い目に相談されることをおすすめします。